月末に予定があるなら先にやっとけと思った(小並文)
新グラかわいい(真顔)
鎮守府所属艦 184隻/184
艦隊司令部
いつものメンバーで、PSVRやってプラモ作って昼メシマックで模型屋回って同人新刊漁って晩メシラーメン食ってガルパン12話+OVAで年越しして一応初詣は済ませました。アホやw
うん。やっぱり大晦日はそば食うべきだったよな!
問題はそこじゃないけどな!
4日夜に出て5日に回って6日の朝に帰ってくるというスケジュール。
目的はカレンダー1つ買ってくること。400円。もちろんamaz○nで売ってるのを確認済みである。
往復500kmちょい走りましたな。微妙やなぁ。高速よかマシだとしても、バイパスずっと走るだけじゃなんも面白くない。
「『ツッコミたい』なんて書かないんだぜ、この記事じゃ……
なぜなら『ツッコミたい』って思った時にはすでに行動は終ってたからだッ!!
『ツッコんだ』なら問題ないッ!!」
全く見も知らんカップルの2人。正直すまんかった。反射的にツッコミ入れるしかなかった。
でもスエズ運河知らんとかあり得ないだろ常識的に考えて。
ん? ふむ。ふーん………はあああぁぁっっ!?
民主主義の国家において、立法がアレなのはまあ必要経費としても、この国の司法も大概だなおい。 今すぐそのデタラメな解釈撤回しろふざけんなと。
これってつまり、日本国内で日本国籍の人が、どこぞの宗教に対する風刺漫画でも描いて日本国内のサーバにでも上げたとして、
どこかの国で「○○教(宗教)を冒涜する内容をネットに上げたら違法である」なんて法律作ってこの解釈で適用したら、
この人はその国で犯罪者として扱われることになって、日本はそれに対して異議を挟めないってことやで。
日本国民守る気ないんか日本の司法は。
こないだの帰り道の晩メシでくら寿司に寄ってから、この1週間で近くの回転寿司を改めて確認。
基本的に回転寿司屋を気にかけるよーな理由が全くなかったんで、行きたい時に行くだけで何も気にしてなかったんですが、
選択肢として使えるかどうかってレベルの違いがあるとなれば、やっぱり確認は必要ですな。
要約すると、くら寿司は選択肢にならない。スシローは優先度低。なお個人の感想です。
わたしが回転寿司屋に期待するものがあるかないかの一点。
こないだの帰り道の休憩含めてネカフェ3回ほどでアカギ33巻まで読んで、雑誌の方も確認してもう笑いしか出てきません。 続いてるってのは知ってたけどさー。
記事読み直すと2か月前にはシャドバ結構やってたんですが、現在わたしのPCとandroidからは削除済みです。 年末の雑誌発表の新カード見て予想はしてたけど、一応年明けネフの修正後まで待って環境見て、 まあそうなるよねーってな状況もちゃんと確認できたので続ける理由がなくなりました。 エンターテイメントとして成立している多くの既存ゲームに学ぶことができないなら、 その程度の開発が出してるモノを追うよりは既存ゲームに時間かけた方が楽しめるのは明白なわけで。
競技というのは大きく2つに分けることができます。その競技を行う相手と直接競うものか、
ポイント制で間接的に競うものかです。
間接的に競うというのは、陸上競技の単純な競争(ゴールタイムの比較)やスキーのジャンプ(飛距離の比較)など、
要は競技者の成績をポイント化して優劣を判断しようとするものです。
間接的に競う場合、競技中の環境の変化によって結果として差異が生じる場合も少なくはないですが、
原則として言えば、競技者は他の競技者の邪魔はできません。
自分が100mでどんなタイムを出そうが他の競技者は自身の実力をフルに発揮して競技に参加できます。
一方、直接競うものの場合は、競技には必ず2つの要素が含まれます。1つは競技者が相手より高いポイントを得ようとすること。
もう1つは他の競技者がポイントを得るのを妨害することです。
サッカーテニスその他の球技、相撲柔道剣道フェンシングボクシングなどの格闘技、
野球やドッジボール、ビリヤード(ナインボール)といったターン制ゲーム、将棋囲碁チェスなどの盤上ゲームなど、
競技ごとに2つのバランスは違えど、必ず「ポイントの獲得」と「他競技者の妨害」は存在します。
平たく言えば「攻」と「守」であり、直接競技であれば、最初から一気に押して「攻」め切るとか、
「守」備に徹してワンチャンスでポイントのリードを狙うといった駆け引きが常に存在するわけです。
アカギを読んだりシャドバに見切りをつけたりしながら、
麻雀の基本ルール、34種136牌を使って4人で競うってのは、
不完全情報ゲームとして実によく出来たルールだと改めて感じた次第で。
将棋や囲碁のような完全情報ゲームであれば、どれだけゲームが複雑化しようとも、
ある意味では全く問題になりません。オセロだろうが大局将棋だろうが、
要はゲームの複雑さをより深く理解した方が勝つゲームであり、
上達は分かりやすく上達(上に達する)となります。ゲームを楽しむという点で言えば、
完全情報ゲームの上達は間違いなくゲームの楽しさに直結するわけですから、
エンターテイメントとして十分に優秀です。
もっとも、ある程度の腕の差があると優劣がはっきり出過ぎるので、
ゲームにハマるほどに、自分と同程度の人との競技を楽しむという点では(対戦相手の不足で)難しくなるかもしれませんがw
同程度の力量、つまり同程度には競技を理解している者同士であれば、
ゲーム中での読み合い、「攻」「守」の駆け引きは成立します。
一方、不完全情報ゲームの場合、わたしはゲームとして成立し得る複雑さに上限下限があると考えます。
直接競技は「攻」「守」が存在してこそ直接競技足り得るわけですが、
わたしがシャドバに見切りをつけた理由として、これがあまりに稚拙に過ぎる、と。
相手の最初の3枚でデッキ傾向が推測できたとしても、ゲームが開始されてデッキが確定してしまっている以上、
もはやそこには相手の手に応じた「攻」「守」が入り込む余地など存在しません。
相手が遅いと分かっていても手札次第で攻めることができず、相手が早いと分かっていても手札次第で受けの体勢など作れず、
相手が決定打を打てる状況になっているのが分かっていても、それが1ターン後だろうが3ターン後だろうが、
自分にできるのはただ自分の手札に従うだけ。相手の決定打がどれだけ遅く、またそれに対して非常に有効な対抗策があったとしても、
それがデッキに入っていない、ドローできない、出すための状況を用意できなければ相手に出されてほぼ詰みです。
これはプレイヤーが不完全情報ゲームをゲームとして楽しむために必要な複雑さの下限を下回っていると考えます。
逆に、初期300+エボルヴ100+バハ100でざっと500種のカードとその組み合わせは、
もはやそれを把握し切ることを放棄して誰かが作ったデッキをマネるのが当然という状態であり、
複雑さの上限を超えてしまっています(もっとぶっちゃければ、開発自身が複雑さの把握を諦めているフシがあります。11月記事の件とか)。
直接競技で重要なのは、自分の手と相手の流れを確認した上で、 その状況を元に次の「攻」「守」の選択をどうするか考えて選択するという、その選択の余地があることです。 これができないなら直接競技である理由がありません。デッキ相性と引き運だけを競うのがTCGだと誤解しているのであれば、 そんなものを楽しもうなどという無理はせずに、いっそ単純に丁半博打でもやりゃいいんです。
4スート1~13までの52枚+1ジョーカーで53枚。トランプゲームはたったこれだけで成立していますが、 これが成立している要因として、自分の手札から相手の手札を少なからず推測できるという点が大きい。 麻雀がより優れているのは、トランプの場合52枚のカードが全て別種であるために、 キーになるカードを確保して「相手を完全に止める」ことができるパターンがそこそこ出現するのに対して、 麻雀の34種という牌は「相手を有効に妨害できる」ことが少なくないけれども、 136牌という数によって「相手を完全に止める」ことが非常に難しいということでもあります。 これに多人数ゲームの宿命である「強い人が勝つのではなく、 誰かを勝たせるような失敗をした人が勝敗を決める」ことが合わさって、 複雑ではないのに恐ろしく複雑な麻雀というゲームが成立しているわけです。
面白いゲームにはそのゲームが面白い理由があります。
面白いゲームを作るためにまず最初に必要なのは、ゲームとして面白いと言えるための前提条件を満たすことであり、
その基礎となる要素は既存の無数のゲームを見れば自ずと見えてくるものです。
直接競技なのに、駆け引きがなく引いた手札の優劣だけで勝敗が決まるのをよしとして改善を何も考えないなら、
繰り返しますが丁半博打で十分。自分が楽しむためのゲームを選ぶ上で、そんなものは選択肢になりません。
鎮守府所属艦 184隻/184
艦隊司令部
半月でいろいろ書きたいことはあったんだけど書く気になれず。
忘れた方がいいことってあるよね。っていうか忘れたいぐらいだよね……現実なんだけどw